こんにちは、Dayです!
このブログでは、最新の脳科学論文を一般の方にも楽しめるようにわかりやすくまとめています。
今回のテーマは「脳と神経が“必要な感覚だけを選んで使う仕組み」についてです。
私たちの体は、筋肉や関節から絶え間なく送られる感覚情報にあふれています。
ところが、最新の研究によると、脳はそのすべてを処理しているわけではなく、「本当に必要な感覚」だけを選んで利用していることがわかりました。
この仕組みを詳しく調べたのが、ショウジョウバエを使った今回の研究です。ハエの脚の動きを感じ取る神経は、不要な信号を抑える“フィルタリング”機能を持ち、効率的でスムーズな運動を支えていることが示されました。
一見小さなハエの実験ですが、人間の運動やリハビリ、さらにはロボット工学にまでつながる大きなヒントを与えてくれる発見なのです。
本記事は、以下の研究をもとにしました。
Dallmann, C. J., Luo, Y., Agrawal, S., Mamiya, A., Chou, G. M., Cook, A., Sustar, A., Brunton, B. W., & Tuthill, J. C. (2025). Selective presynaptic inhibition of leg proprioception in behaving Drosophila. Nature, 625(7981), 223–228.
https://doi.org/10.1038/s41586-025-09554-2
感覚はなぜ「全部」使わないのか?
私たちの体には、筋肉や関節の動きを感じ取る「固有感覚」というセンサーが備わっています。例えば、足がどのくらい曲がっているか、手にどれくらい力が入っているかといった情報が、絶えず脳に送られているのです。
ところが、この情報を“全部”処理しようとすると、脳は膨大なデータに圧倒されてしまいます。ちょうど、同時に何十本もの電話が鳴り続けているコールセンターを想像してみてください。すべてに対応しようとすると混乱し、かえって仕事が進まなくなりますよね。
私たちの神経系も同じで、余分な情報まで処理すると、動きがぎこちなくなったり、反応が遅れたりしてしまいます。
そこで脳と神経は、「今この動きに必要な感覚だけを優先し、不要な信号はカットする」いう仕組みを持っています。
この“取捨選択”こそが、スムーズで効率的な運動を可能にしているのです。
ショウジョウバエでわかった「感覚フィルタリング」の仕組み
今回の研究では、身近な実験動物であるショウジョウバエが使われました。体は小さくても、神経の基本的な仕組みは人間とも共通点が多く、動きの制御を調べるには理想的なモデルなのです。
研究チームは、ハエの脚の動きを感じ取る「固有感覚ニューロン」に注目しました。この神経細胞は、脚の角度や動きをリアルタイムに脳へ伝える役割を担っています。
驚くべきことに、これらの神経は常に全ての情報を伝えているわけではなく、「シナプス前抑制」という仕組みで一部の信号を途中で止めていることがわかりました。つまり、脚から送られる感覚情報の中で“不必要”と判断されたものは、脳に届く前にカットされてしまうのです。
この発見は、感覚がただ受け身に脳へ伝わるものではなく、神経回路そのものが“どの情報を通すか”を選んでいることを示しています。
小さなハエの神経から見つかったこの仕組みは、動物の運動を理解する上で大きな手がかりとなります。
脳と神経が感覚を選ぶメリット
感覚フィルタリングの一番のメリットは、動きをスムーズで効率的にすることです。私たちが歩いたり、スポーツをしたりするとき、筋肉や関節からは膨大な情報が送られてきます。その中から必要なものだけを使えば、脳は“本当に大事な情報”に集中でき、余計なノイズに邪魔されません。
また、この仕組みはエネルギーの節約にもつながります。もし脳がすべての信号を処理しようとすれば、膨大なエネルギーと時間が必要になります。感覚を取捨選択することで、効率よく動きをコントロールできるのです。
さらに、状況に応じて優先する感覚を変えられる点も重要です。たとえば、暗い場所では視覚よりも足裏の感覚を重視するように、脳は環境に合わせて柔軟にフィルタリングの“設定”を変えています。
つまり、感覚を選ぶ仕組みは「なめらかな動き」「省エネ」「環境適応」という三拍子をそろえて、私たちの行動を支えているのです。
人間の運動や日常生活へのつながり
今回ショウジョウバエで見つかった“感覚フィルタリング”の仕組みは、人間にも深く関わっています。
たとえば、階段を降りるときには目で段差を確認しつつも、実際の動きは足裏や関節の感覚に大きく頼っています。スポーツでも同じで、ボールを蹴るときに視覚だけでなく、足の位置や筋肉の張り具合といった感覚が重要です。
脳はこうした複数の感覚から「今必要なもの」を選び、最適な動きを引き出しているのです。
また、この仕組みはリハビリやトレーニングにも応用できます。脳や神経の病気で感覚の伝わり方が変化すると、うまく動けなくなることがあります。そのときに「どの感覚を優先すれば動きやすいか」を理解すれば、効率のよいリハビリ方法につながる可能性があります。
つまり、今回の研究はハエの脚だけの話ではなく、私たちが日常生活で自然に行っている“感覚の取捨選択”を支える科学的な裏づけといえるのです。
ロボットやAI研究への応用
感覚フィルタリングの仕組みは、人間や動物だけでなく、ロボットやAIの研究にも大きなヒントを与えます。
現在のロボットは、高性能なセンサーを搭載して多くの情報を集めることができます。しかし、そのすべてを処理すると膨大な計算が必要になり、動作が遅くなったり、エネルギー効率が悪くなったりします。これは、脳が「感覚を全部使わない理由」とまったく同じ問題です。
今回の研究で示されたように、必要な感覚だけを優先し、不要な情報は早い段階でカットするという仕組みをロボットに取り入れれば、もっとスムーズで省エネな動作が可能になるかもしれません。
さらにAIにおいても、「大量のデータを全部処理する」のではなく、「意味のある情報を見極めて選ぶ」ことが求められています。動物の神経系が持つ効率的な情報処理の仕組みは、次世代のロボット制御や人工知能の設計に直結する可能性があります。
まとめ|必要な感覚だけを選ぶことが、動きを支える秘密
私たちの体は、筋肉や関節から膨大な量の情報を受け取っています。しかし、そのすべてを使うのではなく、必要な感覚だけを選び、不要なものは抑える“フィルタリング機能”によって、スムーズで効率的な運動が可能になっています。
ショウジョウバエを用いた今回の研究は、この感覚フィルタリングが神経回路のレベルで行われていることを初めて明確に示しました。
小さな昆虫の発見ですが、人間の運動やリハビリテーションの理解、さらにはロボット工学やAIの発展にもつながる大きな意味を持っています。
日常生活で当たり前のようにできている「歩く」「物をつかむ」といった動作。その背後には、膨大な情報を“取捨選択する知的な仕組み”が隠されているのです。

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